首も手もないトルソの美しさは近代の発見と言えよう。昔は「美に対する観念」というより、むしろ藝術品を求める注文品が「完全姿熊」を要求した。しかし、発掘された古代作品が、首や腕がない時、より本質の「美」を示していることへの感覚的知恵を近代人に与えた。-作者-
日本の彫刻で彼のように聡明確実な腕を持った者は一人もいなかった。 その上彼の世間を相手にしない孤高な魂はそれに気品を与えた。彼は木盆にヴェルレーヌの詩、「われは選ばれたる者の怖れと喜びを持つ」という原語で自らを彫り続けていた。-作者-
ロダンが「フランスのカテドラル」の中で、ランスの寺を「跪いて祈る女」と云っているのは、勿論君は知っている。僕がはじめてランスの寺で受けた感動は、後年ギリシアのシシリアで受けたものと同質である。春の小雨の降る日、細い道に入って右にまがった。不意に眼の前に、雲の流れる濡れた空の下に、膝を折り、合掌し天を仰いで若い女が祈っていた。ランスのカテドラルが………-作者-
真の「空間」とは「自然」の中に「自我」が生むものなのだ。高い藝術作品がこれを示している。-作者-